1979年夏の自転車旅程メモ
大阪箕面発
醒ヶ井駅[泊]
乙女渓谷バス停[泊]
舞台峠で早稲田のサイクリング部員と遭遇。目指す峠が同じ鞍掛峠ということで同行することに。しかし、体育会系の猛者と天文同好会のひ弱な筆者のペースが合うはずもなく、早々に先へ行ってもらう。
御厩野林道
鞍掛峠は近い
御岳林道には森林鉄道の痕跡があった。
奈良井駅[泊]
経ヶ岳林道
権兵衛峠
芝平峠
入笠山 雷のため林道の道端でテント[泊]
甲府
笹子トンネル
四方津駅[泊]
大垂水峠
横田基地
猪苗代
磐梯吾妻スカイライン上りの途中で気絶歩道で[泊]
暗いうちに目が醒めたがあたりを見回しても自転車がない。???歩いてしばらく下ったところにあるガソリンスタンドに自転車が立てかけてあるのを発見。よほど浄土平に早く着きたかったのだろうか、睡魔と戦いながら夢遊病者のように歩いて歩道をのぼったものと思われるが自転車を置いていってどうする?
7/30(月)~8/1(水) 浄土平にて「星空への招待」[2泊]

水沢緯度観測所
田沢湖
八幡平手前の道端でテント[泊]
十和田湖
龍飛岬レストハウスの軒下[泊]
8/7 三厩港
当時の地図には三厩から福島町まで津軽海峡を距離38km、2時間で結ぶ航路が記されていた。(大間ー戸井の方が23kmほどで航路としては短いが下北半島はやはり陸路が遠い。)前年岡山から自転車で龍飛崎まで来た際、20km先の北海道が肉眼でもよく見えていて次は必ずこの航路で北海道に渡ろうと思っていた。当時津軽半島西岸は小泊から七ツ滝の先までしか道がなく、少し山に入ったところで自転車を放置、徒歩で算用師峠を越えそのまま岬まで行き灯台手前のトーチカで寝た。1979年は自転車で岬まで来たので近くに吉田松陰の詩碑があるレストハウスの下で雨露をしのいでシュラフカバーで寝た。後年ニューサイクリング誌の読者ならおなじみの著者綿貫益弘氏の随筆「津軽から江差へ」に小泊から西岸ルートで龍飛崎を目指した話を見つけて度肝を抜かれた。シーカヤックならわかるが自転車連れで行ける地形ではないよな。
翌朝は午前9時発のフェリーに乗るつもりで出発したが三厩に着いたのは9時をわずかに過ぎた頃で防波堤から出ていく船を見送ることになった。まぁ急ぐ旅でもないし次の14時発を待ってのんびり過ごすうち雨になり雷も鳴りだした。おそらく切符売り場だった建物と隣接する屋根の下が乗船待合場所になっていてこのときは自家用車が2台だけ、あと大阪から来た400ccバイクの兄ちゃん、そして北海道の離島に連泊しているけど「ねぷた」を見物したくて一旦青森に渡って楽しんだ後また北海道に戻るという東京の親子3人連れ(未だに交流が続いている)と知り合った。港のどの位置から船が離岸したのかについては全く記憶がない。
この航路は発着場所の名前を取って三福航路と呼ばれていたらしい。旅客運賃は500円、自転車が400円だった。船の写真を撮っていなかったのが残念だ。船が着くなり船員さんから「乗ったらすぐ寝た方がいいよ、揺れるから」とのアドバイス。雷雨だし風も相当強かったのだろう、大いに揺れてゲロ吐きそうになったがなんとかこらえて福島町に上陸した。陸に降りても地面が揺れているように感じたのを覚えている。
三福航路は1998年8月31日をもって廃止された。この最終便に乗船された方のブログがある。Yahooブログで以前見つけてブックマークしていたもののサービス終了とともにリンク切れとなっていたが探してみると無事引っ越しをされたようで復活していた。
思い出の三福航路(その1)
思い出の三福航路(その2)
もうひとつ、有名なヨッキれん(平沼義之)氏によるサイト「山さ行がねが」の中に「ミニレポ第210回 三厩港 国道交点」を見つけた。今も残る東日本フェリー乗り場案内看板のきれいな画像もあってすばらしい。実は、2019/12/21(土)ロフトプラスワンWESTで行われたトークイベント「廃道の日3 -大阪- 新時代の廃道まつり」に参加してヨッキれん、トリさんと握手してもらったことがあったりする。
実際のフェリー乗降場所を探索し防舷材や繋留用ボラードについて述べられているサイトとしては
かつてフェリーのあった港を見に行く ③ 三厩港
https://aomori226.livedoor.blog/archives/52111749.html
https://tsukiyochakai.blog.fc2.com/blog-entry-1049.html
などがおすすめだ。他にも「青森県所蔵県史編さん資料」青森県史デジタルアーカイブスに航路開設に至る流れなどが記載されていて興味深い。
このアーカイブスを「三厩」で検索した中にフェリー「まつまえ」の写真が3点あった。キャプションに「三厩漁港と青森高船のフェリー」とあるが青森商船の間違いではないかと思われる。3点とも撮影日は1967年4月24日。場所は41.197258N 140.431038Eとあるので三厩漁港で間違いない。写真をクリックすると書誌的情報付きのオリジナルページが開く。
特徴的な鉄骨の柱を持つ待合場所。この日は雨で雷も鳴っていた。
GoogleStreetViewで確認できる2013年の状況:
道路に面した側の開口を通して内部の鉄骨が見えている。根元部分のコンクリートの高さが遥かに高くなっているのが見える。(1979年は子供でも登れる高さまでしかなかった。)StreetViewも過去の画像が参照できるようになってきたので同じ場所の変遷がわかり直近では波板の壁が増設され開口が小さくなっている。
https://maps.app.goo.gl/gZgU3zuYunCKcKAh9
別角度から見た旧待合所の屋根。道路を挟んで真向かいには三厩漁協の建物がある。
青森県漁連のサイトに海側からこの屋根を写した画像(©青森県漁連)があった。
道の合流場所に陸側に向けて立っている案内板。東日本フェリーが存在していたことを示すおそらく唯一の痕跡。(防舷材などが残っているようなので唯一でもないか...)右折して乗り場へ向かえという看板らしい。航路が廃止されて27年経った今も空き地に立ったままである。1979年にフェリーの出航を待っていた場所はこの矢印とは逆に左側に少し進んだ場所にある。1975年の空中写真によると当時この看板の場所は海であり、後年埋め立てによってできた土地や道路、南東に移設した新しい船着き場に合わせて港が再構成されたときにこの看板が新設されたのではないかと思う。
https://maps.app.goo.gl/33rq4VBd8NXBLKDa6
で下のStreetViewが開く(下の画像の撮影日は2023年6月)
【おまけ】
東日本フェリーさんには翌1980年に北海道を走った帰り、苫小牧→仙台の便でお世話になった。Wiki「東日本フェリー」によると中長距離航路化に対応するため新東日本フェリー発足後、同社運営航路の愛称を仙台七夕祭りや北海道・航海が星に縁が深いことから「スターライン」、東日本フェリー航路の愛称を7つの航路数から「レインボーライン」としたとのこと。自分が乗船したのは初代びるご。これに乗った際は日勝峠越えの疲れが抜けない中必死で走り、乗船手続き締め切り30分後に滑り込んで乗船という慌ただしい状況だったし、雨が降っていて紙テープでの見送りがあった記憶はないが、放浪詩人の岡本おさみが実体験を元に作詞した吉田拓郎の名曲「落陽」の歌詞に「苫小牧発仙台行きフェリー」出向の際、旅先で知り合ったじいさんが紙テープを拾いつつ見送ってくれたという場面が出てくる。
1979年旅程の続き
東日本フェリーで福島町
上の国町[泊]
江差町
北桧山町
北住吉駅[泊]
花石駅(瀬棚線唯一の有人駅で駅舎に招かれてお茶菓子をいただいた)
美利河駅 花石駅と同じ図面で建てられた感じ
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